「人よ。神に言い返すあなたは、いったい何者ですか。…陶器師は同じ土のかたまりから、あるものは尊いことに用いる器に、別のものは普通の器に作る権利を持っていないのでしょうか。」(ローマ9:20新改訳)カインは神から「あなたの弟アベルは、どこにいるのか」と問われたとき、「私は知りません。私は弟の番人なのでしょうか」と答えた(→創世記4:9)。彼の心は神に対して驚くほど頑(かたく)なで反抗的になっていたことがわかる。アダムとエバがわずか一つか二つの木の実を食したことから罪は入ったが、その子カインの心において早くも恐るべき成熟を遂げた。▼人間は陶器師の手にある粘土と変わらず、それに神の息が吹き込まれて生ける者になったにすぎない。しかしカインはそれを忘れ、弟アベルを殺し、「私は弟の番人ではない」と神に言い返したのであった。じつに罪は戦慄すべき高ぶりを人に持たせてしまうことを知る。ここから解放される道はただ一つ、自分が神の手にある粘土に過ぎない、との自覚を失わないことではあるまいか。キリストは全ての栄光を放棄して人となったとき、ただの粘土として地上を歩まれた。一切を御父にゆだね、その御心がご自分を形造るままに生きたのである。