「そうなるのにふさわしく私たちを整えてくださったのは、神です。神はその保証として御霊を下さいました。」(Ⅱコリント5:5新改訳)「そうなるのに」とは、主が再臨されたとき復活栄化されること、パウロが最大の希望としていた日である。その日に間違いなく復活し、栄光のからだに変えられることの保証として、御聖霊が信仰者に内住された、使徒はそう言う。▼だから私たちがふだんの信仰生活にあって、御霊と共に、御霊に導かれて歩んでいるとの確信を持つことほど嬉しく、幸いなことはない。キリスト再臨の日が待ち遠しく、一日千秋の思いで地上を生きることができるのも、御聖霊がともにおられればこそ、である。そして同時に、御霊の悲しみと痛みが感じられるようになっていく。それは、「再臨を信じないで平気で生活している人々を待ち受けている最後」についての悲しみである。▼すでに死んでハデス(よみ)に落ちた人々が、日夜悲しみの叫びをあげている、その絶叫が霊の耳に聞こえて来て止まない。こうして御霊と共に歩む人々は喜びといっしょに、リバイバルへのうめきと祈りに導かれていくのである。