「主はギデオンに言われた。『あなたと一緒にいる兵は多すぎるので、わたしはミディアン人を彼らの手に渡さない。イスラエルが「自分の手で自分を救った」と言ってわたしに向かって誇るといけないからだ。』」(士師記7:2新改訳)十三万五千の侵略軍(士師記8:10)に対し、イスラエルはわずか三万二千、圧倒的な兵力差だったが、神はまだ多いと言われ、最終的に三百人に絞られた。どう考えても勝ち目のない人数である、450分の1なのだから・・・。だが神はそれで良い、とギデオンに仰せられた。▼ 神は人間が自分の力でやった、という自己賛美を憎まれる。そして、どう考えてもこれは神がなさったことだと、栄光を神に帰すように事態を設定される御方である。▼ヒゼキヤ王の時代、エルサレムに攻め込んだアッシリア王は、「私は自分の手の力でやった。私の知恵でやった。私は賢いからだ。私が諸国の民の境を取り払い、彼らの蓄えを奪い、全能者のように住民をおとしめた」(イザヤ10:13)と豪語したため、みじめな敗北を喫し、センナケリブはニネベに帰ったあと、息子たちに暗殺された(イザヤ三七章)と記されている。吹けば飛ぶような人間、ゴミの一粒のような人間が、神の前で「自分が何者であるかのように高ぶる」ことほど恐ろしい傲慢はない。その傲慢こそが神のひとり子を十字架に呪い殺した張本人である。私たちは心からの謙遜を抱いてひれ伏すべきである。