「これからの働きのために」使徒1:3-26

 このメッセージが届けられる頃には、新型コロナウイルスの問題はどの程度に解決しているでしょうか。感染拡大は収まっても人々や社会が受けた影響は大きく、その傷跡は深いものがあります。時代の流れが大きく変化し、これまでとは違った展開が各界において見られることでしょう。そうした変化や状況に教会はどのように対応することができるでしょうか。今回のパンデミックは、世の終わりの前兆を思わせるような感覚を多くのクリスチャンがわずかでも持ったのではないかと思います。教会は聖書的な終末観をもって現在を生きるように導かれていますが、時代の流れや変化には、ある意味敏感な部分があります。
 しかし、それらに影響を受けたり、翻弄されたりするのではなく、たとえどのような状況にあっても変わらない真理に立ち続けることが求められています。主もまた、教会を整え、次に来る時代に備えるように導かれます。使徒一章には、主の昇天の時の様子とペンテコステを前にして祈り待ち望んだ人々の様子が記されています。その様子は、その後の時代を迎える教会が備えるべき重要な点は何かを伝えています。その最大のポイントは聖霊を受けることですが、そのためになお備えるべき事柄が示されています。

待ち望む姿勢
 その一つは、みことばの成就を待ち望む姿勢です。「わたしから聞いた父の約束」(-4)である聖霊のバプテスマを受けるまで、人々はそれがいつなのかは分からずとも、その成就を待ち続けました。しかも「エルサレムを離れないで」ということばも聞いたのです。もし、エルサレムから遠い山の中などで密かに過ごしていたとしたら、ペンテコステの日に他国のことばで話し出しても、祭りのために諸外国からエルサレムに来ていた人々は、そのメッセージを聞くことができませんでした。神様のご計画の中で、みことばが与えられ、その成就を人々は待ち望んだのです。私たちも、完成への神のご計画の中で、その成就を絶えず待ち望む者ですが、信仰と共にその姿勢をさらに強められるように求めましょう。

神の視点を持つ
 待ち望んだ人々のうちに備えられたものとして、もう一つは神の視点がありました。その後の教会時代には、世の中の流れも大きく変化し、激しい迫害の中も通りました。神様の視点をしっかりと持つための準備は、祈りの中で深められ、整えられ、群れとしての一致も見られるものでした。約10日間の集中した祈りに導かれた人々は、何を祈ったのでしょうか。具体的には記されてはいませんが、当時彼らの心にあったものは、ゲッセマネの園で主が捕らえられた時、主を捨てて逃げてしまったことの心の痛みや、裏切ったユダに対する非難の思いなどで、それらが渦巻いていたのではないかと想像します。それらは恐らく人間的な思いに支配された、苦々しいものだったでしょう。しかし、祈りの中でそれらは取り扱われ、人間的にではなく、聖書的な視点で受け止めるようにと次第に導かれて行ったものと思われます。その状況をことばにして表現し、そこにいた全員に告げて、次の時代への備えの必要性を訴えたペテロの発言に、彼らのうちになされた祈りの一つの結果が証しされています。

 ユダに起こったことは、みことばの成就であるとの聖書的な見解を皆が受け止めた時、それは同時に人間的な思いが払拭された時でもあったかと思います。皆が神の視点を共有し始めた重要な瞬間でした。そこに与えられた思いは、過去の出来事の見解と同時に未来への志向も共有するものでした。具体的には使徒の補充です。自分たちに与えられたこれから後の神の国の働きのために「イエスの復活の証人」(-22)を求める手続きに全員が同意するところとなり、そこに神の導きを確信して、未来を志向しました。神の視点は、みことばにしっかりと立つところにその堅実性があります。胎の中で新しいいのちが必要な準備を整えるように、教会にも必要な備えがなされ、それは今も恵みとして与えられ続けています。

財務・教学局長 瀬戸偉作



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