「主を喜ぶことは力」
2023年を迎え3カ月が過ぎようとしています。新しい年、神様に希望をもって歩み始めましたが、たった3カ月であっても、私たちを不安にさせ、喜びも感謝も失うような現実が私たちを襲ってきます。今年は、エペソ4章1節の年間標語が与えられ、パウロが、「あなたがたは、召されたその召しにふさわしく歩みなさい」と勧めていますが、しかし、その前に、1章から3章を語ってから、イエス・キリストを信じる私たちのふさわしい歩みについて勧めています。この手紙を通して、ふさわしく歩むことを勧めていますが、しかし、1章から3章に書かれていることは、とても大事なことであります。
この手紙を見てみますと、3節「私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように」とありますように、神様をほめたたえ、崇め、賛美し、神様に対する愛の思いに溢れたことばが多く書かれています。
パウロが、この手紙を書いたのは、ローマの獄中で書いたといわれています。そして、年代は、紀元60年ころだといわれています。もし、そうであれば、パウロが、イエス・キリストを信じ、異邦人宣教に従事し、そして信仰を持ってから30年ほど多くの苦しみの中を通されてきた中で書かれたことになります。イエス・キリストを信じ、罪から救われ、感謝と喜びに溢れて、何もわからずに勢いでイエス・キリストを伝えていたころではなく、イエス・キリストに従って多くの苦しみを通ってきたパウロが、獄中で書いた手紙が、神様をほめたたえ、崇め、賛美に溢れた思いを書いています。
イエス・キリストを信じ、最初の頃は感謝と喜びに溢れ、ただ主を愛する思いで、クリスチャン生活を始め、喜びに溢れて福音を伝えていたとしても、思いもよらない苦しみ、辛さを経験し、あるいは、クリスチャンとしてふさわしい生活を心がけても、挫折し、非難され、他人からも、そして自分で自分を責めて、情けなく思わされる中を通され、元気を失い、喜びもなくなり、感謝もなくなってしまうものです。
パウロは、私たち以上に多くの苦しみ、挫折、非難を受けてきているのに、そして忠実に仕えながら、神の前にも人の前にも責められないように歩んできているのに、囚人として捕らえられ、ローマの獄中に入れられていましたが、「私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように」と、喜び、賛美し、そして感謝に溢れた手紙を書いています。この神様を喜ぶ喜びが、召された者としてふさわしく歩むための大きな原動力となります。
パウロの喜びは、「神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福」されたことです。目の前の、見える、現実だけではなく、目に見えない、天上にあるすべての霊的祝福を、パウロは見ていました。「信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです」とありますように、信仰を働かせていました。
私たちには、いつでも、どんな時でも、父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が与えられています。そして、霊的祝福をもって祝福されています。それは、どんな状況に置かれても、ただ神様を喜び、賛美と感謝が、内側から溢れ流れてくるほどの変わることのない霊的祝福であります。
ですから、パウロは、「あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しにより与えられる望みがどのようなものか、聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか、また、神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように」と祈っています。私たちは召された者です。ですから、心の目がはっきり見えるようになり、霊的祝福を喜ぶことができます。神様を賛美し、喜び、感謝に溢れて、召された者としてふさわしく歩んでいきましょう。
理事 川津良知