もう一度「恵みによって強く」

 今年の教団の標語として与えられたみことばをあらためて味わいたいと思います。
「ですから、私の子よ、キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。」Ⅱテモテ2:1
 パウロは二回目の伝道旅行の時に、先の伝道旅行の時に生み出されたルステラの集まりにいたテモテという若者に目がとまります。母のユニケ、祖母のロイスの純粋な信仰と性質を受け継いでいるのを見たのでしょう。パウロは彼を伝道チームに加えます。それが紀元50年頃のことです。そしてやがてこの手紙が送られる時には、テモテはエペソの教会の指導者となっていたようです。
 この第二の手紙はパウロの遺言と言うべき手紙であり、手紙全体を通してテモテに対するパウロの愛と励ましの言葉が満ちています。

◯「私の子」と呼ばれている
 私は、このテモテの手紙からの短い説教を「いのりのとも」に連載させていただいたことがありますが、その時に私の心に残ったことばの一つは、パウロのテモテに対する呼びかけのことばでした。
 パウロは、最初の手紙の書き出しでは「信仰による、真のわが子テモテへ」と書き、手紙の途中で「私の子テモテよ」と呼び、そしてこの第二の手紙では「愛する子テモテへ」と書き出し、二章では「私の子よ」と呼ぶのです。パウロにとってテモテは肉親ではなく、彼が言っているように「信仰による、わが子テモテ」なのです。しかし、私はこの呼びかけに表された、実の親子にもまさった、主に召された者たちとしての彼らの関係に心が熱くなったことを覚えています。私たちもまたそうでありたいのです。
 この手紙は、パウロが生み出したエペソ教会の責任を委ねられたテモテへの手紙です。難しい問題があって、数多くの注意や勧告の言葉もあり、指導者が働き人に、先輩が後輩に命じる厳しい内容があります。しかしこの手紙には、それ以上にテモテに対するパウロの愛と信頼が満ちています。そこにはパウロの喜びがあり、テモテに対する誇りがあります。このように認められ信頼された人は、自分もまた同じように、大切な人たちに対して「大切な存在」であることをきちんと言葉で伝える者になるのだと思うのです。

◯恵みによって生きる強さ
 パウロの言葉に語られているように、弱い私たちがもし強く生きることができるとすれば、それはイエスキリストの恵みによります。このことはいくら強調してもしすぎることはないことですが、私たちを強くしてくださるのはイエスキリスト以外にありません。
 パウロは、テモテに対して自分のようにはできないだろうからと思って、こう言っているのではありません。彼もまた「キリスト・イエスの恵みによって」生かされていたからです。誰からみても強すぎるくらい強く見えるパウロです。しかし、そのパウロは「自分が弱いことによって、私は強くされる」とも言っています。
「しかし主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである』と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」(Ⅱコリント12:9)
「自信」と「勇気」は、似ていますが全く違います。「自信」の根拠は、自分の能力や経験といった「自分」にあります。しかしそれが落胆の原因です。それに対して「勇気」は、神様から与えられるものです。自分が弱いとか愚かであるとか、そんなことはいっさい関係がないのです。「私が弱いときにこそ、私は強いからです」と言えるのはそういうことです。

 今年の教団総会で、ふたたび牧師として任命されました。また新しく理事会としての責任を担うことになりました。あらためて思います。何の自信もありません。自分のわずかな力や経験で何かができるようなものではないのです。どうぞ祈ってください。牧師たち一人ひとりのために、また一つ一つの教会のために祈っていただければ幸いです。

理事長 小平 牧生



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