「主イエスの恵みから来る強さ」

 テモテへの手紙はパウロの獄中からの、愛する弟子テモテに対する個人的な内容ではありますが、教会についての、基本的な在り方や配慮が記されています。
 テモテは信仰的には純粋で、忠実ですがおとなしく気が弱いところがあったようです。ですからこの7節では「神は私たちに、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みの霊を与えてくださいました」とあり、標語のみことばもテモテに対して、親心をもって「ですから、私の子よ、キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい」と励ましているのです。
 テモテは当時、小アジヤの教会でパウロの代理のようにして奉仕しており、若いテモテにとっては大変だったようで、Ⅰテモテ四12では、パウロから「年が若いからといって、だれにも軽く見られないようにしなさい」と言われています。そして、パウロはテモテに「キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい」と、勧めているのです。
 しかし、強くなれと言われて、強くなれるものではありません。強くなれないから、様々なことに思い悩むわけであって、大事なのは「強くなりなさい」ではなく、その前の「キリスト・イエスにある恵み」なのです。
 私たちはキリストから、どんな恵みを頂いているか。また、どんな恵みが約束されているか。そのことを確認していく。それが大事なのではないでしょうか。
 私たちは、主イエスの血潮によって贖われているのです。主のものされ神の家族とされている。永遠が約束されており、この世で報われることはなくても、天に報いが用意されている。そして、天に凱旋する日を待つ者とされているのです。だから「強くありなさい」、と聖書は私たちに向かっても励ますのです。
 そこで、この世で強くある者の例を、パウロは三つ挙げました。兵卒とアスリートと農夫です。
 兵士の強さとは、忠誠心、犠牲、そして命令に服従するという点でしょう。どこまでみことばに忠実に歩んでいるか、日常生活のことで一杯一杯になり、神に喜んでいただくことを忘れてはいないか、ということです。
 つづく、競技をする者(アスリート)の強さとは、たゆまぬ訓練を積んでいるということ、そして自己管理がきちんとできており、目標が定まっているということでしょう。栄冠を得るために、ありとあらゆる努力をしているのです。少しの時間でも、少しの力でも続けていく時、大きな力となっていくのです。アスリートでもやり過ぎて、身体を壊してしまうことがあるわけで、続けることが大事なのです。それは、霊的にも言えることであり、短くはあっても日々時間を献げて神に祈り、仕えていくとき、それが大きな力になっていくのです。
 三つ目の農夫の強さは、忍耐かもしれません。農夫の仕事は忍耐そのものです。収穫は最後であり、収穫までに何があるか分からない。災害によってすべてが水の泡になることもあるのです。しかしそれでも、忍耐をもって耕し、種をまき、雑草を除去し、水を注ぎ、肥料を与え収穫できる。種をまいたら、時が来て勝手に実を結んでくれるというものではないのです。
 Ⅰテサロニケ一3には「愛から生まれた労苦」、「望みに支えられた忍耐」とあり、ただの労苦ではない。愛から生まれた労苦。ただの忍耐ではない。キリストに対する望みに支えられた忍耐です。宣教の働きは、種をまいたらすぐに実を結ぶものではありません。愛をもって労苦し、主イエスに望みを置いて忍耐していくなら、時が来て実が結ばれるのです。
 ですから信仰における強さは、「キリスト・イエスにある恵み」からしか来ないのです。私たちは弱い存在です。しかし、救われてなお、「弱いままでいいよ」とは、聖書のどこにも書いていません。みことばをしっかりと握って、ともにいてくださる主を信じて、キリスト・イエスにある恵みに溢れる強いクリスチャンとされましょう。

横浜・仙台・真岡教会 小野寺従道



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