「創立80周年を前に、100年教会を目指して」

 来春、私たちの基督兄弟団は創立80周年を迎えます。これまでの神様の恵みとこ愛に心からするものです。
 私たちはこの80周年を次の90周年、
100周年へとつなぐものとし、成長の通過点としたいのです。(ピリピ1:6)に「あなたがたの間で良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださると、私は確信しています」とパウロが語っています。教団の各教会も50年、60年となってきています。私たち三ツ境キリスト教会も今年、創立55年を迎えます。各教会はより成長し、少子高齢化の現状の困難を乗り越え、希望ある将来を目指して進み、成長を願っておられると思います。
 そこで「創立100周年を日指す教会」がどんな教会であるか、ある本に「100年続く教会作りを考える」とありました。また、他の一般の本では「100年以上続いている会社はどこが違うのか」とありました。私たちも教会存続をかけて考えてみたいのです。
 教会が100年続くには何が必要でしょうか?
 第一に、自分たちの子や孫たちに信仰を伝えて行かなければなりません。子や孫が信仰を継承しなければ100年どころか、その世代だけで教会は終わってしまいます。予どもが無理なら、孫たちに伝えましょう。また教会学校のために析り、私たちができる協力をしましょう。
 第二は、その地域に100年存在するためには、その地域に根ざした証しがたてられなければなりません。地域から信頼され、地域を愛し地域から愛される教会でなければ教会は立つことはできず孤立していまいます。小さなことですが、私たちがあいさつをし、お肚話をするだけでも地域の人々の心を癒します。小さなことを続けて行くことです。
 第三に、100年続くにはその間に何人かの牧師が奉仕されます。現在の教団の状況は1教会1牧師から、共同牧会、また宣教師の受け入れ、勧上制度の見直しなどが提唱されています。しかし、私たち牧師が変わっても、或いはいなくなっても存続する教会でなければ100年は立ち行きません。教会が衰退、分裂することなく諸問題を乗り越えて行かなければ存続する教会とはなりません。もし1人の牧師が主導する教会で終わるならばその牧師の寿命が教会の寿命になってしまいます。
 そこでは100年続く教会の視点が求められます。100年を越える教会は歴史があります。何代かの牧師、役員、信徒がおり、地元に受け入れられ、子、孫に信仰が継承され、リーダーが育てられるしっかりとした基盤をもっており培っているのです。
 さらに、ただ存続するだけでなく、新しく宣教し開拓を日指す教会でなければいつしか尻つぼみになってしまいます。そこにはビジョン(教会の将来像)が必要です。
 韓国のアンダーウッド宣教師は朝鮮半島が深い闇の中にあった時、福音を携えて半島とその民に仕え、永遠の眠りにつきました。アンダーウッド宣教師の析りはこうでした。「主よ。今は見えるものは何もありません。礼拝をささげる礼拝堂も、学校もありません。ここは警戒心と疑りと蔑視に満ちていますが、いつの日か恵みに溢れる場所になることを信じます。主よ、この信仰と祈りにあなたが答えてください」。アンダーウッド家は1884年に初めてこの地に来て、4代に渡り120年間韓国に仕えてアメリカへ戻りました。彼を始めとする多くの宣教師たちがイエスの愛を携えてこの地に来て福音を伝えて祈った時にこの地に驚くべき御業が起りました。民が新しい光と悟りを受けたのです。
 今、私たちも日本を愛し、多くの先輩たちが労苦し、種まきをしたその労苦を受け継ぎ、それぞれの地、そこに住む人々のために析り励んで行きましょう。大きな器に水を満たすのには、時間がかかります。そのように本当に重要なことには忍耐が要求されます。すぐに答えが出ないからといって諦めるのではなく析りつつ忍耐をもって主を待ち望みましょう。

三ッ境キリスト教会 重村正巳



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