「三年目は、種を蒔いて刈り入れ、ぶどう畑を作ってその実を食べる」イザヤ37:30

 新型コロナウイルス拡大により緊急事態宣言が政府より全国に出され、深刻な事態となってしまいました。人々の行動が制限され、礼拝にも集まれないという、今まで経験したことのない状況に私たちはあります。
 そのような中で、私たちに与えられているみことばは、イザヤ37:31の「下に根を張り、上に実を結ぶ」です。このみことばに取り組み三年目を迎えます。
 しかしこの年、「実を結ぶどころではない」と、言われるかもしれません。しかし、神はこの歴史を支配されており、意味のないものはありません。試練にも意味があり、その試練を通してしか得られない実があるのだと考えます。私たちはこの試練も、信仰を持って乗り越えていきましょう。
 ヒゼキヤ王は、混迷するイスラエルの歴史の中で、神を恐れ立派な業績を残した王でした。しかし、とうとうアッシリア軍はエルサレムに迫り、絶体絶命の状況となってしまったのです。敵の将は叫びかけます。「おまえだけは救い出されるというのか。ハマテの王、アルパデの王…、はどこにいるか」と。まさに、それが現実でした。「危機が迫っている…」、ではない。危機がもう来てしまっていたのです。もうどこにも逃れられない。それは、今の私たちの状況と似ています。
 その危機の時代の中で、預言者は神のことばを告げました。しかし、「神の都であるエルサレムが滅ぼされるはずがない」と考えていた民は、預言者たちを迫害したのです。不信仰なことを言っているかのように人々から思われたのではないでしょうか。
 敵はアッシリアの神こそ一番で、だから国々を打ち負かしたのだと豪語します。しかし、ヒゼキヤはイザヤのことばに、きちんと耳を傾け祈ったのです。「祈る」という神への逃れの道が残っていたのです。
「万軍の主よ。ただ、あなただけが、地のすべての王国の神です。あなたが天と地を造られました」16節。「ただ、あなただけが…」と。唯一の神として祈ったのです。さらに、祈りを見ていくと、「天と地を造られた神」、「生ける神」、そして「私たちの神」と祈ります。
 私たちの信じる神こそ、この世界を造られた真の神です。生きて働いておられる神なのです。ですから、三七章の最後には、アッシリア王は頼りにしていたアッシリア神の前で、実の息子に殺されてしまい、あっけない最期となります。
 ヒゼキヤの祈りは答えられ、エルサレムは守られ救われました。しかし、やがては滅ぼされ散らされてしまうことを神は告げられます。しかし、完全に滅ぼされてしまうわけではなく、希望が示されているのです。「下に根を張り、上に実を結ぶ」という預言です。やがて約束の地にあって、しっかりと根付き、やがて実を結ぶようになる。神の民は必ず回復するという約束です。
 このみことばは今の私たちにも語りかけます。周囲がどんなに絶望に覆われていても、真の神を信じる私たちには、救いがあり希望があるのです。「万軍の主の熱心がこれを成し遂げる」(32)のです。
 植物は根があってこそ上に成長し実が結べるのです。そして、根の部分がしっかりしていないと、この世の嵐に倒され、この世の渇きに枯れてしまいます。
 私たちは、このような時こそ、信仰が根付くような働きをし、与えられている希望を、この世に示していく者とされているのです。それは、私たちの信じる神こそが本物の唯一の神だからです。
 このような状況下で、Web礼拝をはじめたある教会では、「家族と一緒に礼拝ができた」「教会に行けなかったが礼拝ができる」「誘えなかった人にウエブ礼拝を紹介できた」という報告を受けています。みことばを聴く機会が増えているのです。
 今こそ、これまでできなかったことをする。新しい伝道の方法にチャレンジする。疎遠だった人々に電話でもメールでも声をかけ、助け合う関係を築く…。すべきことはいくらでもあるのではないでしょうか。
「涙とともに種を蒔く者は喜び叫びながら刈り取る」詩篇126:5

理事長 小野寺従道



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