「ただキリストの福音にふさわしく生活しなさい」(ピリピ1:27)

 新年が明けて早一ヶ月が過ぎました。いかがお過ごしでしょうか。新しい年もよろしくお願いします。
 新しい年の始めに志を新しくされた方がおられると思います。期待と喜びに溢れたスタートはとても良いことです。また昨年から継続して歩んで行こうと決めた方もおられると思います。それも良いことです。
 さて、パウロはピリピの教会に書簡を送りました。彼は牢獄にあっても喜びに溢れて書きました。彼の生涯を思う時にどんなに多くの労苦と痛みがあったかを覚えますが、そんなパウロがピリピの人々に勧めます。「ただキリストの福音にふさわしく生活しなさい」(27節)と。
 脚注に「市民として生活しなさい」とあります。これは「責任と特権を意識した市民生活をしなさい」との意味です。当時、ピリピの町はローマの植民都市でした。このような都市はあちらこちらにあって、ローマは兵隊たちの中で功績のあった人たちに報奨として土地や建物を与えました。日本での退職金のようなものです。この町はギリシャ地方にあってローマから遠く離れているのですが、建物も服装もローマの物をそっくり持って来て、彼らはいつもローマと同じような生活をしていました。全てがローマ風だったのです。「市民としてふさわしく生活しなさい」というのはローマと同じように生活することで、パウロは「ふさわしく生活しなさい」ということを通して「神の国の民にふさわしい生活をしなさい」と言うのです。では「神の国の民にふさわしい生活」とはどんな生活でしょうか。

 パウロはここで「キリストの福音」と言っています。ある人たちはイエス様を信じる時には「信仰によって信じて救われた」と言いますが、救われて後に、「さあこれから頑張ろう」となりがちですが、これは違います。私たちは信仰によって、信ずるのみで救いを受けました。ご聖霊の働きにより救われたのです。ところがいつの間にか救われて後は「自分が」、「自分で」と「自分の努力で何とかしよう」「仕上げよう」とするのです。そうではなくて、信仰によって救われたのなら、その後も肉によって(自分の努力によって)でなく、御霊によって、御霊の恵みによってそれを成し遂げるのです。

 「キリストの福音にふさわしく生活しなさい」。「キリストの福音」とは「イエス・キリストが私に代わって十字架に死んで赦してくださったことで救われた。自分に何の功績がなくても、ただ恵みによって救われ聖められた」ことです。それは自分の頑張りでなく、ただ聖霊の導きと助けによってのことです。自分ではない、自分の力や功績ではなく恵みによってなされたことです。恵みとは受けるに値しない者に与えられる神の愛、祝福、憐れみなどで、それは全て神様からの一方的な賜物です。
 かつてペテロたちがガリラヤ湖で突風に遭って悩まされた時に、イエス様は水の上を歩いて近づいて来られました。ペテロはイエス様に「御許に行かせてください」と言いますと、主は「来なさい」と言われ、ペテロは水の上に歩きます。ところが、途中彼は波風を見て脅えてブクブクと沈みかけます。イエス様を見ていた時は沈まなかったのに、イエス様から目を離したら沈みだしたのです。イエス様はペテロを叱責もせずに助け一緒に舟に上がりました。

 私たちの信仰生活は、人生の波風や他の人を見てブクブクと沈みかけます。その度にイエス様が捕まえて引き上げてくださいます。捨てられてもどうしようもない者、罪で真っ暗な者を主は見離さず救われるのです。これが「キリストの福音」です。主キリストがなしてくださった恵みを感謝しつつ、家族、友人、近隣の人々に分かち合う者とさせていただきましょう。
「『私は待ち望む。主の恵みを。』実に、私たちは滅び失せなかった。主のあわれみが尽きないからだ。それは朝ごとに新しい」。
尽きぬ恵みあふれる日々でありますように。

宣教局長 重村 正巳



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