あらためて「召亡れている」ことを

 一年の最後を迎えて、あらためて教団の標語の聖句を覚えます。「召しにふさわしく歩みなさい」私たちの一年の歩みは、どのようであったでしょうか。

 創世記には、罪を犯した人間に対して投げかけられた二つの問いが記されています。それは「あなたは、どこにいるのか」(3:9)、そして「あなたの兄弟は、どこにいるのか」(4:9)という問いです。
 とても興味深いことではないでしょうか。私なら「あなたは、何をしたのか」と問います。しかし、神様はその前に、「あなたは、どこにいるのか」とアダムに問われたのです。つまり、神様は Doing の前に、Being を問われるのです。
 イエスキリストは私たちを新しく生まれさせ、新しい交わりに生きる者とされました。赤ちゃんの誕生のために家庭が備えられているように、新しく生まれた私たちに備えられている神の家族、それが教会です。
 その教会の姿は、標語のみことばに続いて次のように記されています。
「キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです」(エペソ4:16)
 このみことばから三つのキーワードを思い巡らしてみましょう。

①からだ全体
「私たちはみな」(13)、「あらゆる点において」(15)、そして「からだ全体は」とあるように、全体が問われています。
 たしかに各人と各教会が成長しなければ教団の成長はありません。しかし、からだの各部分の成長は、一つのからだとしての有機的、統合的な成長と切り離すことはできません。もし、教団の成長がそれを構成する各個教会の成長を単に合計したものと考えられているとするなら、「教会の完成」というゴールが忘れられています。「からだ全体は…建てられる」とあるように、キリストの one body である教会が、whole body として完成に向かって成長していくこと。これが私たちの目標です。
②一つ一つの部分
 そのような「からだ全体の成長」は「一つ一つの部分が…しっかりと組み合わされ、結び合わされ」ることによって実現します、この「一つ一つの部分」そして「その力量にふさわしく」とは、「キリストの賜物の量りに従って恵みを与えられました」(7)と語られているように、私たち一人一人と各教会はそれぞれ異なっており、一つも同じものはないということです。しかしそれと同時に「一つ一つの部分」は、互いの部分を必要としています。そのような相互依存の関係こそ私たちのあるべき姿です。
③あらゆる結び目
 しかし、多くの部分が存在しても、それだけではひとつのからだとはなりません。そこには「結び口」が必要なのです。
「あらゆる結び口」とあるようにそれは多様であり、「備えられた結び目」とあるようにそれは神様が与えてくださっているものです。
 私たちが「キリスト兄弟団」という一つの教団であるために、神様は様々な結び目を備えてくださいました。私たちの歴史、信仰の特徴、神の家族としての交わり、そして福音宣教の使命、そのような一つ一つの結び目を明確にし、教団に属する全ての人がそれを共有することによって私たちはひとつのからだとなります。
 最後に、そのために最も大切なことが最初と最後に記されています。すなわち「キリストによって…愛のうちに建てられる」ということです。私たちの教団の将来を決めるのは、私たちがいかに教会の主であるイエスキリストのもとにあり、神の愛のうちにあるかということに尽きます。
 まもなく新しい年を迎えます。私たちは今までにまさってイエスキリストとそのからだ全体に思いを向けましょう。同時にそれぞれの教会を尊び互いに祈りましょう。さらに、私たちを一つにする結び口を確かにし、具体的な協力に力を合わせましょう。何よりも、イエスキリストが主とあがめられますように。

ニューコミュニティ 小平 牧生



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