「その頭には冠が」

 「その目は燃える炎のようであり、その頭には多くの王冠があり」(黙示録19:12)
 世界は激しく揺れ動いています。人々の心も激しく振るわれています。表面的な現象は常に混乱と争いの連続です。しかし聖書を知る者は、その根底に流れる神の壮大な計画に目を留めます。歴史は神によって始められ、神によって締めくくられ、神によって完成されるからです。神の人類を救う目的の全体を聖書は「主が頭に受けられた冠」によって表現しています。過去、現在、未来に「主イエスが冠を受けられた」と言われている聖書箇所が3箇所あります。

 「茨の冠」(過去)―「兵士たちは、茨で冠を編んでイエスの頭にかぶらせ、紫色の衣を着せた。彼らはイエスに近寄り、『ユダヤ人の王様、万歳』と言って、顔を平手でたたいた」(ヨハネ19:2.3)。これは過去のキリストを要約しています。茨は罪の象徴です。兵士たちは、その盲目と無知によって、イエスに世界の罪の証拠としての冠をかぶらせました。彼らの行動は預言的であり、神は短期間のうちに、預言を成就されました。神は罪の象徴ではなく、罪そのものを取り、愛する御子の頭に載せました。「主は私たちすべての者の咎を彼に負わせた」のです。そして「わたしが死ぬから、お前は生きればいい。信じるだけでいい。わたしの愛を受け取りなさい」と言って下さいました。そこに人間の幸せの秘訣があります。

 「栄光と誉れの冠」(現在)―「ただ、御使いよりもわずかの間低くされた方、すなわちイエスのことは見ています。イエスは死の苦しみのゆえに、栄光と誉れの冠を受けられました」(へブル2:9)。へブル書の著者は、主イエスがどのようにして栄光と誉れの冠をかぶるために、父なる神の右に昇られたかを説明しています。御父は言われました。「あなたは、わたしの右の座に着いていなさい。わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで」(へブル1:13)。天に集まった全ての軍勢が見守る中、御父は主イエスに栄光と誉れの冠をかぶらせました。復活し天に昇られたイエスは父なる神の右に座して、今信じる者の救いを完成へと導かれます。私たちの伝道を導いておられます。私たちの生活を守り導いておられます。どんな試練の中にある方も大祭司であるイエスが、今とりなして守っていて下さいます。それゆえ何が起ころうとも長い時間のスパンで見れば、最善のことしか起こらないのです。これが私たちがイエスを信じている大きな理由です。

 「多くの王冠」(未来)―「また私は、天が開かれているのを見た。すると見よ、白い馬がいた。それに乗っている方は『確かで真実な方』と呼ばれ、…その目は燃える炎のようであり、その頭には多くの王冠があり、…その方は血に染まった衣をまとい、その名は『神のことば』と呼ばれていた。…その衣と、もものところには、『王の王、主の主』という名が記されていた」(黙示録19:11~16)。パトモス島の牢獄から、使徒ヨハネは「来るべきもの」を見ました。彼の魂を揺さぶるビジョンは、主イエスが最後の瞬間に地上に戻って来られ、ご自分の民の間で統治することを明らかにしました。この方は神の栄光に包まれて戻って来られます。信じる者に与えられている究極の希望はキリストの再臨です。「多くの王冠」は全世界の「王の王」として、彼が力あるお方であり、その権威が全世界に及ぶことを表しています。同時に私たちは揺り動かされない御国を受けるのですから、感謝しつつ、敬意と恐れをもって礼拝をささげ賛美するのです。「栄えの冠を 献げまつらん かつては茨を かむりし主に」「戦い終(や)み 矢叫び絶え 祈りと歌との 声は響く いざみ民よ 平和の主に 栄えの冠を 捧げまつれ」。私たちは、過去、現在、未来にわたる神の計画を信じ、キリストの証人として、この世に派遣されているひとりひとりです。そして地上の使命を果たしつつ、主の再臨を待望し、叫びます。「主よ来てください。御国が来ますように」と。

総社教会 髙地博夫



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