「今、私にできること。今、私たちにできること」
「ですから、人からしてもらいたいことは何でも、あなたがたも同じように人にしなさい。これが律法と預言者です」(マタイ7:12)全国の皆様のお祈りと励ましによって、私たち教団に属する各教会が支えられていることを覚えて心から感謝します。また教団を超えて互いに支えられていることを覚えて感謝します。
今日は「今、私にできること。今、私たちにできること」と題して(マタイ七12)を引用させていただきました。
私たちは自分巾心の面がありますので、自分に関することは敏感に反応します。しかし、他人に関することには鈍感な部分があります。例えば自分の家の前にごみが落ちているとすぐに拾います(自分事)が、他人の家の前ですと無視ではないですが素通りして行きます(他人事)。また、教ム.覇内でも同じです。教会内は少し散らかっていても気にしませんが、家ですとすぐに片付けをします。
もちろん人によって差はあります。「自分は決してそうではない」と確信しておられる方には申し訳ありません。
さて何を言いたいのでしょうか?
今回、能登ヘボランティア支援で行かせていただきました。能登は今年、元目に大きな地震があり、古い家屋は倒壊し、山々は崩れて木々は根っこから崩れ落ちているという状況になりました。その後、9月に線状降水帯の発生により大雨が降り続き、多くの家屋が床ヒ浸水、床下浸水と水浸しになり、土砂が床下に溜まっている状態です。その⊥砂は2~3週間の問に取り除かないと固まって家屋が役に立たなくなってしまうというのです。私たちの仕事は上砂を手作業で取り除くこと、泥をかぶった畳の下の柱や板をタオルや雑巾でふき取るというのでした(全国の皆様の緊急支援物資、特にタオル、雑巾の送付を感謝します)。当然、泥まみれの状態でした。作業は遅々として中々進まない状態でした。短い2泊3日の作業、しかも距離があり現地に到着に時間がかかるのでした。
しかし、現地の方々はそんな私たちの小さな働きを感謝してくださいました。地震に続いて大雨による災害、国の支援や自衛隊の救援の遅れがあり、そして毎日、毎日繰り返し労するのですが、遅々として進まない状況に現地では将来への希望が失われつつあり、失望へ変わって行くのでした。
現地に行って初めてその現実を見、知ったのでした。私は災害も自分の身に起こらないとどこかで他人事となり、現地の人々の労苦、辛苦を中々感じ取ることができないと思ったのでした。
だからとヨ.口って誰でもボランティアに出て行けるわけではありません。
そこで、今回、能登や災害の中にある方々の身に自分を置くことの大切さを覚えました。
主イエスは(マタイ7:12)「ですから、人からしてもらいたいことは何でも、あなたがたも同じように人にしなさい。これが律法と預言者です」とおっしゃいました。これは「黄金律」ですが、「自分を相手と同じ立場、同じ状況に置いてみること」、「もし自分の身に同じことが起こったらどうするだろうか」、「何をして欲しいか」を考えたいのです。そして、「今、私に何ができるだろうか?」「彼らは何を望んでいるだろうかつ.・」を考えたいのです。まずお祈りをしていただきたいのです。そしてどんな小さなことでも気づきが与えられたなら、それを行動に移していただきたいのです。
主イエス様は律法の専門家が「どの戒めが一番重要ですか」と聞かれた時に言われました。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』これが、重要な第一の戒めです。「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という第二の戒めも、それと同じように重要です」(マタイ22:37-38)と。これは律法の裏表です。私たちは神様を愛し仕えるとともに、また隣人を愛し仕えて行きたいのです。
励ましと慰めが豊かに与えられ、 一日も早い復興を祈ります。
三ツ境キリスト教会 重村 正巳