「良くなりたいか」(ヨハネ5:6)

 冒頭のみ言葉は、38年も病気にかかっている人に向けてかけられた言葉です。当時、べテスダの池の周りには、多くの病人がいました。それは、時々主の使いが降りてきて水を動かし、その時最初に池に飛び込んだ人は癒されるという言い伝えがあったからです。実際、最初に飛び込んだ人は癒されたのでしょう。なぜなら、大勢いる中で最初に飛び込めるほど元気だったからです。しかし、彼は、長い間ずっと最初に池に入ることはできませんでした。
 その人に、イエス様は聞くのです。「良くなりたいか」。なぜ聞くのかわからない不思議な質問です。良くなりたいに決まっていると思うからです。でも、実際の答えは、予想外なものでした。自分が治らない言い訳だけを話すのです。なぜそんな答えをしたかというと、良くなりたいか、なりたくないかではなく、自分は良くなれないと信じているからです。だから、治らない理由しか言わないのです。でも、イエス様の問いは、非常にシンプルです。「良くなりたいか」。

 今月末に教団総会が持たれます。この年も、昨年、一昨年に引き続き、「下に根を張り、上に実を結ぶ」とのみ言葉を掲げています。3年も同じみ言葉を掲げることはかつてなかったと思いますが、このみ言葉が何度も聞くべき言葉であり、また、今聞くべき言葉だからです。南ユダが危機的な状況であったように、私たちの教団も今危機的な状況にあると言えます。特に、高齢化の波によって、かつては元気であった教会が、急速に力が衰えていってしまっているという例がいくつか出てきています。この危機の時代だからこそ、聞くべきみ言葉なのです。
 でも、イザヤ書の言葉を聞く前に、私たちが聞くべき問いがあるように思います。それは、この「良くなりたいか」との問いです。この人は、良くなりたいかと問われて初めて自分は良くなれないと思い込んでいることに気が付いたのです。私たちも同じかもしれません。どうせ無理だ。良くならないと思い込んではいないでしょうか。確かに、今までの経験からすれば難しいし、無理だと言います。そして、状況を見ると好転する可能性は非常に低いかもしれません。でも、主イエスが聞いているのは、現状分析や、今後の予測ではないのです。あなたが、良くなりたいかどうかです。もっと言うと神はあなたを良くできると信じているかどうかです。
 この男性は答えませんでしたが、イエス様の前に立ち、問いかけられることによって、本気で良くなりたいという思いが芽生えたのです。だから、主は「起きて床を取り上げ、歩きなさい」と言われるのです。まずすべきことは「起きる」ということです。良くなると信じるのであれば、神が語られる言葉に応答して、まず行動するのです。「すると、すぐに治って」(9)とありますが、どうして病気が治ったとわかったのでしょうか。それは、彼がみ言葉に応答してすぐに起き上がったからです。良くなりたいと本気で思うのなら、み言葉に応答して、すぐに実行してみてください。そうすれば、治ったことがわかります。良くなりたいかと聞いてくださるお方は、私たちを良くすることが出来るお方だからです。
 次に彼は、「床を取り上げ歩き出し」ました。かつて彼がずっと寝床にしていたものを取り払ったのです。寝床は、今までの自分、かつての良くない自分の象徴です。その過去と決別し、一歩前に足を進めたのです。良くなりたいと思うなら、いつまでも過去にしがみついていてはいけません。走らなくてもいいのですし、自分のペースで構いません。でも、かつての寝床にもう決して戻ってはならないのです。寝床を取り上げて、歩み出すのです。

 皆さんはどうでしょうか。「良くなりたいか」と主は今日も私たちに語りかけておられます。主はあなたを良くできるお方です。み言葉に応答し、「起きて、床を取り上げて、歩く」者とさせていただきましょう。

総務局長 澤村 信蔵



戻る