「あなたの偉大な働き」
「エルサレムの通りを行き巡り、さあ、見て知るがよい。その広場を探し回って、もしも、だれか公正を行う、真実を求める者を見つけたなら、わたしはエルサレムを赦そう」(エレミヤ5:1)私たちの教会の祈祷会で今エレミヤ書を読んでいます。読んでいると、結構つらいというか、気持ちが重くなる箇所が多いのです。神様に背を向けるイスラエルの民に、神のもとへ帰らないと裁きを受けるとエレミヤは繰り返し、繰り返し語ります。それでも民は全く聞こうとしないのです。何度言っても変わらないのです。だから、最後には、神の戴きを受け、バビロン捕囚の憂き口にあうのです。そういう状況の中で、神様は、エレミヤに対して町を探し求めて公正を行う、真実を求める者を見つけるようにと告げられます。もしだれか見つけたら、エルサレムを赦そうとまで言ってくださったのです。ただ、その結果は、残念ながら一人もいなかったのです。それくらいイスラエルの人が堕落してしまっていたという証拠です。この言葉は、ソドムとゴモラに対するアブラハムの祈りに通じるものがあります。最後には10人まで行きました。たった10人の正しい人がいれば、最悪と言われたソドム、ゴモラでさえも、滅ぼされなかったのです。正しい人の価値がどれほど大きいかと思います。しかも、冒頭の箇所では、「だれか」ですから、「たった一人でも」ということです。「もしも、だれか公正を行う、真実を求める者を見つけたなら、わたしはエルサレムを赦そう」と神様は言っていてくださるのです。
確かに、神のみことばに本気で従う人は少ないことは事実です。日本においてクリスチャンの数は1%もいなく少なく、カがないと思いますが、さらに、私たちの教団では、牧師も信徒も高齢化が進み、ますます力がなくなっているように思います。でも、この箇所を読むと、一人の人が神に本気で従うということがどれほど大きなことかがわかります。たった一人の公正を行う、真実を求める者がいたら、首都であるエルサレムを赦してくださるのです。ソドムとゴモラほどのひどい罪ある町であっても、たった10人で滅ぼされないのです。これは、1%よりはるかに少ないはずです。確かに、このみことばをそのまま私たちに当てはめて読んでいいかどうかはわかりません。この通りではないかも知れませんが、でも、たった一人の人が神様に本気で従ったら、この世界が変わることは事実です。神が滅ぼすほどのひどい状況であっても、その判断が変わってしまうほどの変化が起こるということを忘れてはいけないのです。私たちは、自分が公正を行い、真実を求めていくということが、どれほどの影響を与えるかを知っているでしょうか? どうでしょうか。その一人に、私も、また、あなたもなろうではないでしょうか。
もし、あなたが神様に本気で従い、公正を行い、真実を求めていくなら。神様はあなた一人の故に、あなたの家庭を、町をあわれんでくださるかもしれません。クリスチャンの数が増えることは私たちの望みであり、そうなりたいと思います。でも、たとえクリスチャンの数が少なかったとしても、私たちは周りに良い影響を与えることができることを忘れてはならないのです。いや、あなたたった一人でもいいのです。実際、家の中では一人という人もいるでしょう。学校の中でも一人、職場の中でも一人、地域の中でも一人かも知れません。教会の仲間も少なくなったかもしれません。
でも、あなたが本気で神に従うなら、家庭が、町があなたの故に変わるのです。
「エルサレムの通りを行き巡り、さあ、見て知るがよい。その広場を探し回って、もしも、だれか公正を行う、真実を求める者を見つけたなら、わたしはエルサレムを赦そう」
私たち一人ひとりの役割は決して、小さくありません。私が公正を行い、真実を求める一人になりますと決心して、家庭、学校、職場、地域の祝福をもたらすものとなっていきましょう。
成増教会 澤村 信蔵