あなたは人間でありながら、自分を神としているからだ。」(ヨハネ10:33新改訳)パリサイ派や律法学者たちがイエスを見た時、その姿はどこから見ても人間であった。だから神を冒瀆する者と決めつけたわけである。しかしひとり子の神は人間の罪を完全に負われたからこそ人となられたのであった。そこに輝いているのは謙遜の栄光であり、当時のユダヤ人たちが肉的に期待した神の栄光ではなかった。もし彼らが期待していたような天上の御姿そのままで現れたら、見た者は一瞬のうちに蒸発し、霊魂はゲヘナへ真っすぐ落ちていたであろう。主はそれほどの絶対的聖を持っておられる方である。▼主は人の罪をその身に完全にお受けになった。だから人間が期待し、予想したような神的栄光が一分一厘一毛もなく、そこには人の姿だけがあったのである。しかしキリストの御謙遜という事実に心の目が開かれたキリスト者は、今度は主イエスから謙遜という栄光がまばゆいば…《続きを読む》

メッセージ《いのりのともから》

詳しくはこちら

新型コロナウイルスからの癒しのために

詳しくはこちら

青年全国大会から 769 日経過 NEXT 2022

詳しくはこちら

INFORMATION

基督兄弟団
「あなたがたは地の塩です。…あなたがたは世の光です」マタイ5:13-14

 5月25日、首都圏における7週間にわたる緊急事態宣言が解除されました。もちろん、緊急事態ではなくなったということではなく、外出禁止によって起こる弊害を考慮しての、止むを得ない政府としての判断でしょう。諸外国も経済的なダメージを考え、早すぎるとも思われますが緊急事態を次々と解除しています。
 私たちは国の方針に倣うのでもなく、また逆らうのでもなく、聖書的、信仰的な判断をもって自粛、あるいは行動をしていかなければなりません。それゆえ教会として、キリスト者としてあるべきことは、どこまでも世の光、地の塩としての在り方に留まることでしょう。
 礼拝は、キリスト者としての生命線ではありますが、強制されるべきものではなく、自主的に神にささげられるべきものです。律法的に決めることではなく、どのような在り方が証しになるか、そして自分の行動が人々のつまずきにならないようにすることが神の御心です。地域によってそれぞれ違いはあるかと思いますので、牧師、役員会の方針に従って責任ある行動をとっていきましょう。
 そして、完全に新型コロナウイルスが終息するよう祈りましょう。このウイルスによる危機は、これまで世界中を何度も襲ってきたものです。そのような中で無知による過ちもありましたが、教会は感染者に手を差し伸べ、それが福祉や医療制度の土台ともなっていきました。このような中でこそ、キリスト者としての在り方が問われる時なのです。
 この新型コロナウイルスが終息した後、教会のあり方がガラリと変わるかもしれません。集会の持ち方、交わりの在り方が、変わってしまうかもしれませんが、キリスト者の交わりは一緒に集まることも大切ですが、それ以上に大切なのは、お互いのために祈っているという祈りによる交わりだからです。

「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように」Ⅱコリント13:13