「翌日、彼らがベタニアを出たとき、イエスは空腹を覚えられた。」(マルコ11:12新改訳)マルコ11章にある「枯れたいちじく」(12~14)は、不信仰から主イエスを受け入れなかったイスラエルを象徴している、と言われる。▼ただ、私はほんとうに主が空腹を感じておられたのも事実だと思う。その公生涯は文字通り「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕するところもありません」(マタイ8:20同)というきびしいものであった。おそらく野宿はふつうであり、食事もしたりしなかったりではなかったか。「そのころ、イエスは安息日に麦畑を通られた。弟子たちは空腹だったので、穂を摘んで食べ始めた」(マタイ12:1同)とあることからも、その一端がうかがえる。▼主は十字架につけられる時まで、飢え、渇きなど、肉体の苦しみまで味わわれたことを思うと、ひじょうな感動をおぼえる。「食するひまも、打ち忘れて、しいたげられし…《続きを読む》

メッセージ《いのりのともから》

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基督兄弟団
「あなたがたは地の塩です。…あなたがたは世の光です」マタイ5:13-14

 5月25日、首都圏における7週間にわたる緊急事態宣言が解除されました。もちろん、緊急事態ではなくなったということではなく、外出禁止によって起こる弊害を考慮しての、止むを得ない政府としての判断でしょう。諸外国も経済的なダメージを考え、早すぎるとも思われますが緊急事態を次々と解除しています。
 私たちは国の方針に倣うのでもなく、また逆らうのでもなく、聖書的、信仰的な判断をもって自粛、あるいは行動をしていかなければなりません。それゆえ教会として、キリスト者としてあるべきことは、どこまでも世の光、地の塩としての在り方に留まることでしょう。
 礼拝は、キリスト者としての生命線ではありますが、強制されるべきものではなく、自主的に神にささげられるべきものです。律法的に決めることではなく、どのような在り方が証しになるか、そして自分の行動が人々のつまずきにならないようにすることが神の御心です。地域によってそれぞれ違いはあるかと思いますので、牧師、役員会の方針に従って責任ある行動をとっていきましょう。
 そして、完全に新型コロナウイルスが終息するよう祈りましょう。このウイルスによる危機は、これまで世界中を何度も襲ってきたものです。そのような中で無知による過ちもありましたが、教会は感染者に手を差し伸べ、それが福祉や医療制度の土台ともなっていきました。このような中でこそ、キリスト者としての在り方が問われる時なのです。
 この新型コロナウイルスが終息した後、教会のあり方がガラリと変わるかもしれません。集会の持ち方、交わりの在り方が、変わってしまうかもしれませんが、キリスト者の交わりは一緒に集まることも大切ですが、それ以上に大切なのは、お互いのために祈っているという祈りによる交わりだからです。

「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように」Ⅱコリント13:13